真宗 大谷派 川勝山 道教寺

真宗 大谷派 川勝山 道教寺

道教寺報DOKYOJI REPORT

投稿日:2018年8月1日

No.392-2018年8月号

投稿日:2018年8月1日

No.392-2018年8月号

『往生(おうじょう)』
 「往生」というと、皆さんどのようなイメージを持たれますか。「死」とか「亡くなる」という後ろ向きなイメージを強く持たれるのではないですか。
 しかし、この言葉のどこにも「死」という文字は含まれておりません。それどころか、「生まれる」という真逆の文字さえ見受けられます。
 「生まれる」のはこの娑婆ではなく、浄土という場所だから、この娑婆世界を離れる事から、現世での「死」という後ろ向きなイメージが強くなるのでしょう。
 では、往生という往くという文字を見ていきます。「行く」ではなく「往く」という言葉を使っているのはなぜでしょう。「行く」という言葉は一方通行の行くに対し「往く」は往復など、行って帰ってくることを指す「往く」だそうです。
 真宗では往生を浄土に還っていくので、浄土に「還浄(かんじょう)」するとも言います。
 私たちの命は浄土から、娑婆に生まれ、また浄土に還っていく命を生きている。そんな寿命(いのち)の受け止め方があります。
 「私達はどこから来て、どこへ行くんだろうか」真宗はそれを浄土と捉えます。実際に在るのかは分かりませんが、それが定まっている。還る場所があるんだ。そう思えれば、力強く現在(いま)を生きて往ける。その気持ちは少し分かる気がします。

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